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岡山地方裁判所 昭和35年(ワ)158号 判決 1963年3月26日

原告 徳山文之介

被告 大塚文一こと堀江文一

主文

一、被告は日置当流師家という名称(日置当流第一七代継承或は同流の嫡流の継承者たることを示す宗家、総家を含む)を使用してはならない。

二、原告のその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用はこれを二分し各一を原告及び被告の負担とする。

事実

一、当事者のもとめる裁判

原告訴訟代理人は「(一)被告は原告に対し一〇〇万円及びこれに対する昭和三五年五月二四日から支払済に至るまで年五分の金員を支払え。(二)被告は財団法人全日本弓道連盟発行の雑誌「弓道」並びに朝日新聞、毎日新聞、読売新聞の各全国版及び山陽新聞、夕刊岡山の各岡山県共通版に別紙記載の広告を、題名と当事者名を三号活字、本文を五号活字で三日間連続して掲載せよ。(三)被告は日置当流宗家又は同流師家の名称を僣称してはならない。(四)訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに右(一)乃至(三)につき担保を条件とする仮執行の宣言をもとめ、

被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決並びに仮執行免脱の宣言をもとめた。

二、原告の主張(請求の原因)

(一)  原告は弓術日置当流の師家である。

(1)  弓術日置流の元祖は藤原鎌足の後裔江州龍五獄城主であつた日置弾正(後に吉田出雲守重賢と称した)に始まる。

(2)  右日置弾正五代の後裔一水軒印西吉田源八郎重氏は日置流を練形して印西派なる流派をあみ出し、特に徳川将軍家から許されて日置当流を称した。

(3)  原告の先祖初代徳山治兵衛勝寿は、右吉田源八郎の三男吉田源之丞久方軒に師事して弓術を修得し、その奥義を極め、のち鳥取池田家の招聘を受けてこれに仕え、池田家が岡山に国替えとなつたときこれに従つて岡山に移り、以後徳山家は明治維新まで一三代にわたつて池田家に仕え、その第一四代が原告の父勝弥太である。

(4)  右勝弥太は日置当流の保存と指導のために一生を捧げ、昭和三〇年九月九日死亡した。

(5)  斯界において宗家とは俗にいう家元と同義であつて、日置当流の直系の末裔のみが承継するものであつて、傍系の子孫はその呼称を許されず、従つて古来岡山県には日置当流宗家は存しない。

(6)  また、師家とは宗家から免許皆伝をうけた者及びその嫡流のみがこれを称するもので、原告は叙上の経緯により岡山県において日置当流師家(徳山家第一五代)を継承する唯一の者である。

(二)  被告は右勝弥太の門弟で、昭和二四年五月五日日置当流の目録は得ているが、それ以上の資格を有するものではない。

(三)  しかるに、被告は右勝弥太の死亡後、同人から免許皆伝を受けていると僣称し、またよからぬ二、三の者とくみして、原告や勝弥太の高弟者その他弓界関係者の総意によつて昭和三一年一月八日原告が当然承継した日置当流師家(即ち徳山師家)を承継したと詐り、更に日置当流宗家と僣称して全国に宣伝している。その例の二、三を挙げれば次の通りである。

(1)  昭和三一年一月中旬頃読売新聞社記者のインターヴイユーにこたえて、第一六代宗家徳山勝弥太の死亡で第一七代の宗家を継いだとのべたので、記者はこれを信じ同月一七日付の同紙上に素人の腕自慢として大きく報道された。

(2)  昭和三二年九月二一日山陽新聞社の主催により岡山市公会堂において開催された古武道大会において日置当流宗家と僣称した。

(3)  昭和三三年一〇月一一日同新聞社の主催により同所で開催された第二回古武道大会において右同様僣称した。

(4)  財団法人全日本弓道連盟発行の雑誌「弓道」第一〇七号(昭和三四年四月頃発行)誌上に、訴外宮崎隅男をして被告が昭和三一年一月八日日置当流の承継者となつた旨の文章を掲載せしめた。

(5)  昭和三四年夏頃、NHKテレビの「私の秘密」、またそれと前後する関西テレビの番組に出場した際、或は岡山県吉備郡高松町所在高松稲荷の奥の院鐘堂の落成式に招かれた際、いづれも日置当流宗家のふれこみで出席し破魔弓を放射した。

(6)  また、被告は居合術や弓術に関するパンフレツトを刊行しているが、そのうちにも師家を継いだとの記載があり、その他にも日常の僣称宣伝は枚挙にいとまがない。

(四)  以上の通り被告の僣称、宣伝により、原告は原告の一四代にわたる先祖の遺範たる弓道の家名と名誉を毀損されているので、その心痛に対する慰藉料として一〇〇万円及びこれに対する訴訟送達の翌日である昭和三五年五月二四日から支払済に至るまで民事法定利率年五分の遅延損害金の支払をもとめるほか、右名誉の毀損による損害は右金員の支払のみを以ては回復し難いので請求の趣旨第二項掲記の通り謝罪広告を掲載することをもとめ、更に将来のため被告に対し日覆当流宗家又は同流師家なる称号を使用することの差止をもとめる。

三、被告の答弁

被告が亡徳山勝弥太から弓道を修得し、全国及び岡山県弓道連盟の要請もだし難く日置当流宗家の称号を預つたことはあるが、これにより原告の権利を侵害したことはない。なお、損害賠償の範囲を争う。

四、証拠<省略>

理由

一、原告は被告に対し慰藉料の支払と謝罪広告の掲載をもとめほるか更に被告において日置当流の宗家又は師家なる名称を使用することの差止めをもとめている。ところで後者は金銭賠償を原則とする我法の下においては直ちに不法行為の効果とはなし難いので、原告主張の被告の所為が不法行為を構成するかどうかの判断に先立ち、まず日置当流師家なる名称の法律上の性格及び右名称につき原告が如何なる権利を有するかの点から判断する。

二、その体裁により真正に成立したと認める甲第一号証に証人杉原金久、同大守麟児(第一回)、同秋山博の各証言及び原告の本人尋問の結果を合せ考えると、弓道の一流派である日置当流の系譜が請求原因(一)(1) 乃至(3) 記載の通りであること、徳山家(原告をも含めて用いる、以下同じ)は代々日置当流師家と称し同流を承継、保持し、且つ他にこれを教授するという形においてこれを相伝えて来たこと、右師家とは日置当流の創始者吉田家(これを同流宗家と称する)の嫡流の者から、技能、精神共に優れたものとしてこれを他に教授する資格を認許されたものをいうものであるが、右資格は宗家と同様その嫡流の者に代々相伝えられるものであること、徳川幕府時代岡山においては池田家に仕える日置当流の師家は七家存したが、現在においては徳山家のみ残存しており、結局日置当流を師家という形において維持する者は唯徳山家のみであること、師家においてはその代々承継した方式に則り同流を修練する者に対し目録を与え或は免許を与えるのであるが、右の事情により現在岡山県下においてこのような資格を有するものは徳山家のみであること及び現在弓界においては全日本弓道連盟が審査のうえ与える段位の制度があり、これが各人の技能を示すものとして一般に通用しているのではあるが、なお各流派においては目録乃至免許を与えるということが行われており、その客観的な価値はともあれ少くとも一流派によつて弓道の修練をしようとする者にとつては右はなお主観的な価値を有するものであることを認めることができ、右認定に反する証拠はない。

右認定の事実によれば、師家とは日置当流なる弓道の流派においては一定の資格乃至家格を示すものであり、原告において同流師家と称するのは結局その代々承継、保持し、且つ教授する日置当流なる流派における特定の資格においてのその名を示すものというべきである。従つて、あたかも各人の氏名がその人格の一面の表象であるのと同様に、師家なる名称は原告にとつては弓道の分野におけるその人格を示すものというべく、各人がその氏名につき他人による権限なき使用から保護され得ると同じく、原告は弓道の分野におけるその人格の表象というべき師家なる名称につきこれが他人により濫りに使用されることについて保護をもとめ得るものというべきである。尤も、単に弓道のみならず広くある種の技能(例えば生花、お茶等)の各流派において宗家乃至師家或は家元と称する一定の家格を有するものが存し、その嫡流の者において代々これを相伝えて行きその流派の中心として君臨するという我国特有の制度は、或は前近代的なものであるとの評価を甘受しなければならないものであるとしても、右の如き制度が存在することは事実であり、またかかる制度の下に身をおく者が少からず存するのが現実であることを思うとき、右の如き評価を以て前示認定の原告が師家なる名称につき有する権利を全く否定し去ることは少くとも現在においては妥当ではない。

三、つぎに、その体裁により真正に成立したと認める甲第三号証いづれも成立に争のない甲第四乃至第八号証に証人杉原、同大守(第二回)、同大場喜代松、同平田毅、同石川幸憲、同秋山の各証言を合せ考えると被告は昭和三〇年以前頃から現在に至るまで宗家、総家或は日置当流一七代継承等という表現を用いて種々の機会に各種の範囲にわたつて日置当流の承継者であると称していることが明らかである。尤も当事者間に争のない被告が原告先代勝弥太について日置当流を修得した事実並びに前示証人秋山、同大場、証人工藤恒四郎の各証言によつて明らかな、右勝弥太の死亡(昭和三〇年九月九日)後同人の高弟及び他流ではあるが岡山県下における弓界の有力者が相会して被告に日置当流の流儀を伝えさせようとした動きのあつた事実から推すとき、右は一応被告において日置当流なる流儀(いわばその技術面)を今日伝えるものであることを示す意ともとれぬことはない。しかしながら、前顕各証拠、殊に甲第五乃至第七号証(いづれも被告が使用した名刺)から考えると、被告は右の如く称することによりその措辞如何は別として要するに、単に日置当流の流儀を相伝え保持することを表示せんとしたに止らず、むしろ自らこそ右流の嫡流の承継者、即ち右勝弥太の次に位して右流の中心たる者は自己であると顕示しているものと認めざるを得ない。してみれば、被告は右認定の如く称することにより、結局弓道の世界の日置当流なる分野において前示認定の如き師家なる名称により表象される原告の人格の一面を侵害するものというべく、原告はこれが差止めをもとめ得るものといわねばならない。尤も、原告において差止めをもとめ得る範囲は、被告の呼称する態様が右認定の如きものであることに鑑み、主文第一項掲記の限度に止まるものと解するのが相当である。原告のこの請求部分は右の限度において理由がある。

四、そこで慰藉料の支払及び謝罪広告の掲載をもとめる請求部分について判断する。

原告の本人尋問の結果によれば、被告が右認定の如く自己を顕示することにより原告が少なからず不快の念をいだいたことは推認するに難くなく(原告は家名を被告により汚されたとまでいつている)、また被告の右所為のため本訴の提起を余儀なくされるに至りこのため原告が相当の費用を要したであらうことも弁論の全趣旨より推察され得ないではないが、これがため原告が金銭及び謝罪広告の掲載を以て慰藉しなければならない程堪え難い精神的苦痛を受けたとは認め難いし、かえつて前示原告の本人尋問において供述する趣旨に徴すれば、右認定の如く被告に対し主文第一項掲記の通り名称の使用の差止を認めれば、原告の右不快の念乃至感情は殆ど慰藉され得るものと考えられる。従つて、この請求部分は更に判断するまでもなく何れも理由がない。

五、以上認定の通りであるので原告の請求は右三、認定の限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当として棄却する。よつて、訴訟費用の負担につき民訴法九二条を適用のうえ(なお、原告は右認容にかかる請求部分につき担保を条件とする仮執行の宣言をもとめているが、右部分は財産権上の請求にかかるものとは認め難いのでこれを付すことはできない)主文の通り判決する。

(裁判官 辻川利正 川上泉 矢代利則)

別紙

弓術日置当流師家徳山文之介殿に謝罪

拙者こと、この度日置当流宗家と僣称、宣伝して岡山市における日置当流師家である、徳山文之介殿の名誉を毀損し及び貴家の家名を汚損したことは、全く拙者の悪意に出た所業にて、その罪万死に値して軽るからず、ここに陳謝す。

岡山市古京町二七一

大塚文一こと

堀江文一

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